読書は著者のお話しを聞くようなもの?
- 作者: 五木寛之
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/11/01
- メディア: 新書
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今年77歳になる著者のお元気な姿は、最近も直接お見かけした。
しかし、本の中では、この世の中、覚悟を決めて「諦める=明らかに究め」ようとどうも後ろ向きに感じてしまう。
今、著者は新聞に長編連載「親鸞」を書いている。この本でも、真宗(親鸞)の教えを著者なりに解釈されていて楽しい。
さて、肯いたのは、日本の文化にある「かなし=憂愁=愁い」を感じること。「うらうらに照れる春日(はるひ)に雲雀あがり 情(こころ)かなしもひとりしおもへば(大伴家持)」。どこかに愁い、諦めを感じる心。似た感覚がポルトガルのファドに感じる「サウダーデ」、ブラジルのボサノバに感じる「サウダージ」…なるほど、僕の好きな感覚だ。ロシアには「トスカ」というものが人に棲みついているそうだ。トスカ=憂愁と露日辞典にあるそうだ。
*好きなファド歌手=カティア・ゲレイロhttp://www.youtube.com/watch?v=h1GORzSi6Kc&feature=related
鬱の長い時間を、人生の中で多くもったと告白する著者。
今から20年ほど前、僕がまだペーペーの頃。著者を囲む昼食会に出たことがあった。殆ど口も開かず、途中で気分が悪いと退席された著者を、何て人なんだろうと、当時、思ったものだ。
あの頃も鬱の時間だったのだろう、と今にして思う。