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基本、自分日記です。

歴史の道 萩往還を歩く

道は歴史を見てきた。歴史街道萩往還はおよそ53km。関ヶ原の戦で西軍総大将になった毛利氏は周防国長門国に追いやられた。そして長州藩として参勤交代の為に開いたのがこの萩往還。山陰の萩城下から瀬戸内の三田尻港までの道。維新の折は吉田松陰以下、門下生も歩いた維新の道でもある。

今回2日に分けて歩きました。

1月の長崎街道ウォーキング終了以来の歴史街道ウォーキング。
初日は素晴らしい五月晴れの下、気持ちの良い陽射しと風にあたりながら、萩市に近い山口市のかつて「県民の森」とされた山あいをスタート。


さすがに名高い歴史街道。しっかりとした標識が至る所に設置されています。


桜のあとは、ふじやツツジなどの花が咲き誇る綺麗な季節です。



緑の山も空気が澄んでいて、くっきりと綺麗です。



山口市から防府市に入ります。看板にある「幸せます」。方言だそうです。「嬉しいです」という意味だそうです。「幸せます」キャンペーンが市内では行われています。



初めて来ました「防府天満宮」。大宰府、北野(京都)に次ぐ日本三大天満宮だそうで、りっぱな社です。



気持ちのいい風、気持ちのいい陽ざしに当たり、午後4時くらいに今日のゴールへ。三田尻の港跡がゴールですが、近くに維新の志士たちを支援した「野村望東尼」終焉の地がありました。ここで人生を終えたのですね。ちなみに生誕の地の碑は福岡市内にあります。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」…死の床で詠んだ高杉晋作のこの上の句を受けて望東尼は続けて「すみなすものは心なりけり」と返しました。


明けて翌日、打って変わって朝から雨。昨日のスタート地点までタクシーで向かいました。午前8時、今度は北へ、山陰の萩に向って歩き始めます。

山口市から萩市へ。今日は殆ど山の中、山間・峠を歩きます。



佐々並の市です。参勤交代のお殿様一行が休憩や宿泊する拠点のひとつで今も昔を思わせる風情ある街並でした。萩往還は随所に歩く人たちのためにきちんとした休憩所が設けられています。



明木です。山を下りて萩市街に入ってきました。折しも「萩往還まつり 技 明木展」というイベントが開かれていました。雨にもかかわらず多くの人でにぎわっています。萩焼など工芸品を売る市や食のコーナーがあり、ここでランチ休憩。さあ、萩市中心部まであと少し。



歩き始めて休憩入れて7時間半、およそ26km。午後3時半到着。降り続いた雨で靴の中まで濡れて血豆が大きくなっていました。幸いにつぶれずにいましたが。相棒は明日も歩けると、元気な声。僕は早くも筋肉痛が随所に。鍛え方が足りないのを痛感。山陰から瀬戸内までの歴史的街道を歩いた達成感を感じ、さあ次回はどこの歴史街道に挑戦か!